
創業して間もない会社の株価を決めるのは難しい作業です。売上も実績もない段階で「1株いくらか」を合意しようとすると、交渉が長引きます。
そこで使われるのが、いま株価を決めず、次の本格的な調達のときに決まった価格を基準にして株式へ変えるという方法です。J-KISSはその代表的な書式で、新株予約権のかたちを取ります。
投資家は先に資金を入れ、株式は後から受け取ります。会社は交渉にかける時間を節約できます。ただし「決めていない」のではなく、「決め方を決めている」という点を取り違えないでください。
株価を「決めていない」のではなく、決め方を先に決めている契約です。条件の読み方を間違えると、転換したときに想定と違う持分になります。
条件はいくつも並びますが、持分に直接効くのは次の4つです。
| 条件 | 何を決めるか | 見落とすとどうなるか |
|---|---|---|
| バリュエーションキャップ | 転換時の評価額の上限 | 会社が伸びるほど、創業者の希薄化が大きくなる |
| ディスカウント | 次ラウンド株価からの割引率 | キャップとどちらを使うかで転換株数が変わる |
| 適格資金調達の定義 | いくら以上の調達で転換するか | 小さめの調達では転換せず、次まで持ち越される |
| 満期と、そのときの扱い | 期限までに転換しない場合どうするか | 返済を求められる形になっていることがある |
このうち交渉の中心になるのはバリュエーションキャップです。金額そのものより、ここが持分を決めます。
見るのはキャップ・ディスカウント・適格調達の定義・満期の4つ。中心はキャップです。
2つとも「早く出資した人が、後から入る人より有利な価格で株式を受け取れるようにする」仕組みです。働き方が違います。
キャップが3億円なら、次のラウンドのプレマネーが5億円でも10億円でも、この投資家にとっては3億円として計算されます。会社が伸びるほど、投資家が受け取る株数は増えます。
20%なら、次のラウンドの1株価格の80%で転換します。評価額がいくらであっても、割引率は一定です。
多くの契約では両方が入っていて、投資家に有利なほう(=転換株数が多くなるほう)が適用されます。どちらか一方だと思って読むと、計算が合いません。
キャップは評価額に上限、ディスカウントは株価に割引。通常は両方入っていて、投資家に有利なほうが使われます。
設定はこうします。発行済10,000株の会社が、J-KISSで2,000万円を受け入れました。キャップ3億円、ディスカウント20%。その後、シリーズAでプレマネー5億円・1株50,000円で調達しました。
評価額3億円を、転換前の株式数10,000株で割ります。1株あたり30,000円。2,000万円 ÷ 30,000円 = 666株。
次ラウンドの1株50,000円から20%引きで40,000円。2,000万円 ÷ 40,000円 = 500株。
投資家に有利なほうが適用されるので、この場合はキャップの666株です。同じ2,000万円でも、条件の読み方で166株の差が出ます。
キャップから1株価格を出すとき、何で割るのかが契約によって違います。発行済株式だけで割るのか、未行使のストックオプションを含めた完全希薄化後で割るのか。含めるほど1株価格が下がり、投資家の株数が増えます。資本政策表のどの数字を使うのか、契約の定義を読んでください。
転換株数はキャップとディスカウントの有利なほうで決まります。割る分母の定義でも株数が動きます。
キャップは「会社の評価額の上限」ですが、創業者の側から見ると希薄化の下限を決めています。
| キャップ | 1株あたり | 転換株数 | 転換後の投資家の比率 |
|---|---|---|---|
| 2億円 | 20,000円 | 1,000株 | 9.1% |
| 3億円 | 30,000円 | 666株 | 6.2% |
| 5億円 | 50,000円 | 400株 | 3.8% |
同じ2,000万円でも、キャップが2億円か5億円かで投資家の比率は2倍以上変わります。交渉するのは金額ではなくキャップです。
そして、この希薄化はシリーズAの希薄化に上乗せされます。シリーズAで20%渡すつもりが、J-KISSの転換分を足すと26%になっていた、ということが起こります。
キャップは創業者にとって希薄化の下限です。次ラウンドの希薄化と合算して見てください。
J-KISSの希薄化は単独では見えません。転換はシリーズAと同時に起きるので、2つを合算して初めて自分の持分が分かります。
発行済10,000株の会社が、J-KISSで2,000万円(キャップ3億円)を受け入れ、その後シリーズAでプレマネー5億円・1株50,000円・調達1億円を実行した場合を追います。
| 株数 | J-KISSがなかった場合 | 実際(J-KISSあり) | |
|---|---|---|---|
| 創業者 | 10,000株 | 83.3% | 78.9% |
| J-KISS投資家 | 666株 | — | 5.3% |
| シリーズA投資家 | 2,000株 | 16.7% | 15.8% |
| 合計 | 12,666株 | 100.0% | 100.0% |
創業者の比率は83.3%から78.9%へ、4.4ポイント下がります。シリーズAの交渉では「16.7%渡す」つもりでいても、実際に手元に残るのは78.9%です。
この差はキャップで決まっています。キャップ2億円なら転換株数は1,000株になり、創業者の比率はさらに下がります。J-KISSに署名した時点で、シリーズA後の持分はほぼ決まっています。
上の試算は、シリーズAの1株価格を「転換前の株式数」を基準に置いたものです。実務では転換分を織り込んだうえでシリーズAの価格を決める方法もあり、その場合は各人の比率が変わります。どちらの前提で話しているかを、投資家と揃えてください。前提がずれたまま交渉すると、クロージング直前に数字が合わなくなります。
J-KISSの希薄化はシリーズAと合算して見る。署名の時点で、次のラウンド後の持分はほぼ決まっています。
同じ金額を受け入れるなら、最初から優先株式で発行するという選択もあります。比べる軸は3つです。
| 軸 | J-KISS | 優先株式での調達 |
|---|---|---|
| 決めることの量 | 少ない。株価を決めずに進められる | 多い。評価額と各種条件を先に合意する |
| かかる時間 | 短い。書式が定型化している | 長い。条件交渉とデューデリジェンスが入る |
| 持分の見通し | 転換まで確定しない | その場で確定する |
使い分けの目安は「株価を決められるだけの材料があるか」です。実績が乏しく、評価額の議論が主観に寄る段階ではJ-KISSが向きます。逆に、売上や利用者数など数字で語れる材料が揃っているなら、優先株式で決め切ったほうが後の見通しが立ちます。
もう1つの目安は次のラウンドまでの距離です。半年以内に本格的な調達を見込んでいるなら、転換までの期間が短く、条件の複雑さが実害になりにくい。1年以上先になりそうなら、満期の設定を慎重に見てください。
判断軸は株価を決められる材料があるかと次のラウンドまでの距離。金額の大小ではありません。
キャップの交渉を進めるには、相手が何を根拠にその数字を出しているかを知っておくほうが早くなります。
見られているのは、おおむね次の3つです。
| 見るもの | 何を判断しているか | こちらが示せるもの |
|---|---|---|
| 次のラウンドの見通し | いつ、いくらの評価額で調達できそうか | 直近の指標と、その伸び方 |
| 調達までの期間 | キャップが効くのはいつになるか | 手元資金と、月次の支出 |
| 他に誰が入るか | 同じ条件で他の投資家が入っているか | すでに合意した条件 |
1つ目が中心です。キャップは「次のラウンドでこれくらいの評価額になるだろう」という見込みから逆算されます。したがって、次のラウンドの評価額を高く見込めるだけの材料を示せれば、キャップも上がります。
逆に、材料を示せないままキャップだけを上げようとすると交渉は進みません。交渉しているのは数字ではなく、その数字の根拠です。
キャップは次のラウンドの評価額の見込みから逆算されます。上げたいなら、その見込みの材料を示すことになります。
条件を変えて複数回発行すると、転換時の計算はそれぞれ別に行われます。同じ会社の同じタイミングでも、投資家ごとに1株価格が違うことになります。
発行済10,000株の会社が、次の2回に分けて受け入れた場合を追います。シリーズAはプレマネー5億円・1株50,000円とします。
| 投資額 | キャップ | 1株あたり | 転換株数 | |
|---|---|---|---|---|
| 1回目(早い時期) | 1,000万円 | 2億円 | 20,000円 | 500株 |
| 2回目(半年後) | 2,000万円 | 4億円 | 40,000円 | 500株 |
| 合計 | 3,000万円 | — | — | 1,000株 |
2回目のほうが金額は倍ですが、キャップも倍なので転換株数は同じです。早く入った分だけ有利になる、という設計がそのまま数字に出ています。
ここで注意したいのは、1回目の投資家が「自分だけ条件が悪い」と感じる状況も起こりうることです。2回目のキャップを低く設定してしまうと、後から入った人のほうが有利になります。発行のたびに、既存の投資家との関係で条件が逆転していないかを確認してください。
2回目、3回目と重ねるほど、転換後の姿は頭の中では追えなくなります。発行のたびに、全部が転換した前提の資本政策表を作ってください。作れば、自分の持分がどこまで下がるかがその場で分かります。
複数回の発行はそれぞれ別に計算されます。後から出す条件が、既存の投資家より有利になっていないかを見てください。
適格資金調達が起きなければ、転換は発生しません。そのとき何が起きるかは契約で決まります。よくあるのは次の3つです。
3つ目が入っている契約は、実質的に期限のある負債に近い性格を持ちます。手元資金が薄い時期に期限が来ると、そこで動けなくなります。満期の日付と、そのときの扱いは必ず確認してください。
また、会社が買収された場合の扱い(一定倍率での支払い、または直前に転換)も定められているのが普通です。ここは調達の交渉時ではなく、出口の場面で効きます。
満期に返還を求められる条項が入っていると、性格が負債に近づきます。日付と扱いを確認してください。
転換前のJ-KISSは株式ではないので、株主の行には入りません。資本政策表では潜在株式の欄に、次の3つを注記しておきます。
想定株数を書いておかないと、次のラウンドの交渉で自分の希薄化が読めません。キャップが決まっている以上、試算はできます。
潜在株式として投資額・転換条件・想定株数を記録します。想定株数がないと、次の交渉で希薄化が読めません。
この記事は株式による調達の一部です。手段そのものを比べたい場合は、あわせてご覧ください。