コロナ禍の2021年に、東京から山梨に移住をしました。移住のきっかけは犬(中型サイズ)を飼いたいと思ったからです。
コロナ禍でも、人は”食”を止めることはできません。山々に囲まれた山梨は、犬の散歩でも畑を目にすることもあり、可能な範囲で農業に携わってみよう、と思い立ちました。
様々な農家さんを紹介いただき、多様な農作物の農業に関わらせていただく中で、ある桃農家さんと出会いました。
「後ろに置いてある桃、好きなだけ持っていっていいよ」そう桃農家のおばあさんは私に声をかけます。後ろには100は超えた桃の山が。
「私はひとり暮らしだから、2-3個で十分です。残りはどうするんですか?」
「裏の畑に掘ってある穴に全部捨てちゃうよ」
衝撃が走りました。食べられるけれど、捨てる?なぜ?しかも農家さんは、挨拶をするように当たり前のことという雰囲気です。
それから、改めて農家さんたちに会いました。そこには、自分たちだけではどうにもできない、仕組みの歪みと諦めからくる「アグリロス」の実態があったのです。
「この問題を、農家さんだけに抱えさせてはいけない」その想いからスタートしました。