小坂志保のインタビュー記事がNewsweekに掲載
「支える人を支えたい」慢性疾患の重症化予防ベンチャーに参画した研究者 小坂志保
日本人の成人のうち8人に1人が腎臓病、6人に1人が糖尿病の患者および予備軍だと言われる。高血圧は予備軍を含むと約4,300万人。日本人の3人に1人の割合になる。これだけ多くの日本人が慢性疾患に苦しんでいる。「いえ、苦しんでいるのは患者だけではありません。家族も同様に苦しんでいるんです」。上智大学で教育・研究に携わる傍ら、それらの知見をより多くの対象者へ還元するために株式会社エスケアの最高リサーチ責任者(CRO)を兼任しアドバイザーとして参画している小坂志保氏はそう指摘する。
食卓が幸福の場から不幸の場に
小坂氏は、慢性疾患看護の研究者であり今までに慢性腎臓病・腎移植・高血圧患者を対象とした研究を行ってきた。大学教員になる以前は臨床看護師として、何人もの患者に寄り添ってきた経験もある。「慢性疾患はメンタルヘルスにも悪影響を与えます。うつになる患者さんもいらっしゃる。それを見ている家族まで、しんどくなってくることもあります」。慢性疾患では日常の食事管理が病状の安定の為に非常に大切であるが、その管理が非常に難しく、満足な食事を実践出来ている家庭は多くない。例えば、家族が塩分に気をつけて食事を作っても「まずい!」と、はねのける患者もいる。醤油をかけて、より塩分を多く摂取してしまう人もいる。
「家族としては、やってられなくなりますよね」。同社最高経営責任者(CEO)の根本雅祥氏は言う。同氏の父親も腎臓病の患者だ。症状が悪化するにつれ食事制限が厳しくなり、母親の調理負担が増えていった。「あれもだめ、これもだめ。じゃあ何だったら食べられるんだ。母親は、もう嫌だってなりました。食卓が崩壊しました。本来なら食卓という家族の幸福の場が、不幸の場に変わっていったんです」。
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株式会社エスケアは、食事サポートを通じて慢性疾患の重症化予防を行うベンチャーだ。同社では、当事者本人をサポートすることはもとより「支える人を支える」をテーマに、医師・看護師・管理栄養士が事業の監修として関わり、現在は減塩を目的にした3つの事業領域に乗り出している。1つ目は、スマートフォンを通じたグループコーチング。慢性疾患にとって最大の「敵」の1つが塩分。1日の塩分摂取量を6グラム以下に抑えることを目的に、食生活に関するコーチングを行う。これは減塩が必要な当事者だけにコーチングを行うものではなく、日々の調理を行う人が別にいる場合はその人にも参加をしてもらい、日常の減塩調理方法も習得してもらおうというものだ。
2つ目の事業は、そうした減塩調理方法を実際に体験するクッキングサロン。減塩調理というと、単純に薄味にすることを思い浮かべがちだ。しかしこのクッキングサロンでは、素材本来の味を活かした体に優しい調理方法の習得を目的としているため、だし・薬味・香料・調味料などを効果的に活用し、減塩だけれども満足度の高い調理方法を学ぶことが出来るという。同社では、調理上手になることで結果的に減塩を達成することが理想のカタチと考えている。また、サロンは患者の家族間のコミュニケーションの場、同じ悩みを抱えた者同士の語らいの場にもなっている。
3つ目の事業は、減塩にこだわった食材の配送。現在準備中で、先ずは常備菜の配送を考えているという。一般の家庭においても、調理をする人にとって毎日の献立を考えることは非常に悩ましい問題。その上、塩分量も考慮する必要があるとなると、その大変さは想像に固くない。その負担を軽くしようとするのがこのサービスだ。常備菜はもちろん単品でも食べられるし、2つ以上の常備菜を重ねたり調味料を足すことで全く違った料理にもなるという。
データが変える医療、ヘルスケア
さて、そのコーチングに不可欠なのがデータ。摂取塩分量、血圧、体重、血液などのデータを集めて、個々人に合ったコーチングを提供していくのだという。塩分量はスマートフォンで食事の写真を送ってもらって管理栄養士などが推測する一方で、朝の尿の中の塩分量も測定し対象者の実際の摂取塩分量を確認する。血圧は、オンラインにつながった血圧計を利用する。
これらによって対象者・サービス提供者双方にデータの見える化が可能となる。この共有されたデータを基に日々の食生活のアドバイスが得られるコーチングシステムは、日々の生活の安心につながる。今後このシステムを利用して腎疾患患者の自己管理を促進し、減塩から腎疾患の重症化予防を目指す研究を進めていく予定だ。
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「慢性疾患支援では、患者さんの日々の生活が大事なんです。自分のからだに興味を持つというところからセルフマネジメント(自己管理)は始まります」と小坂氏は指摘する。スマートフォンや、オンラインにつながった検査機器の普及で、患者の日々のデータの取得が可能になり、病気の現状がより正確に把握できるようになるのだという。
「家庭で測定した血圧値を記載した血圧手帳を外来に持ってきていただきますが、患者さんは薬を増やしたくないので、お医者さんにはいい値しか報告しない人もいらっしゃいます」と小坂氏はいう。また実際に医者の前では、緊張して血圧が上昇する傾向も確認されている。「白衣高血圧という名称で呼ばれています。なので診察室で取得するデータよりも、患者さんが自然体で測定された家庭血圧を重視するガイドラインに変わってきています」。
経験知や習慣だけではなく、研究に基づいた根拠のあるデータを基にした支援「エビデンス・ベースト・プラクティス」を積極的に進めたいと思い、小坂氏は根本氏の事業にアドバイザーとして関わることに決めたのだという。
「特に塩分摂取量の長期間に渡るデータを取得して非対面式で介入している研究は、まだほとんどありません。高血圧がいろいろな病気の引き金になるということも分かってきている中、この事業で取得できるデータや知見が、今後の医療やヘルスケアの発展に大きく役立つのではないかと期待しています」。
米国では大学の研究者がベンチャー企業に参画し、そこで得た大量の最新データをベースに「生きた学問」を大学で教えるケースが増えているが、日本ではまだまだ少数。産学の間に立ちはだかる壁が、日本の産業界、大学を足踏み状態にしていると言われる中で、小坂氏の挑戦は、非常に画期的なことだと言えるだろう。
自己効力感を高め、家族が一体に
小坂氏はまた、日々の正確なデータは診療に役立つだけではなく、患者と家族にとっても励みになると指摘する。
「患者さんが生活習慣の改善に取り組めば取り組むほど、得られるデータが改善される。そうなれば自分の頑張りに意味を見いだせ、自己効力感が高まるんです」。
最近の幸福学の研究によると、人が幸福を感じるためには、自分で自分の人生の舵を切ることができるという「自己効力感」が不可欠なのだという。
そして患者を支える家族の「自己効力感」も、データの可視化で可能になる。
「病気は決していいトリガーではないですが、家族が同じ方向を向くきっかけになれるのではないかと思うんです」と小坂氏は言う。根本氏も「家族で父親のことを気にするようになってから、家族に仲間意識が芽生えたんです。父親の家族に対する態度も大分柔らかくなりましたし、僕も実家に帰ることが増えました」と言う。
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バラバラになりがちだった家族が患者を支えるという目的で再び1つになり、それぞれがそれぞれに合った役割を持つチームを構成していく。そのチームをまとめる力となるのが、患者の病気を克服するという共通の目的であり、その進捗具合を示すのがデータになるという。
小坂氏は言う。「患者中心の医療とよく言われますが、何かその言葉に違和感を感じてきました。真ん中にはあるべきなのは、患者さんお一人ではなくその患者さんやご家族とともに考える共通の目標じゃないのかなと思うんです。共通の目標を核にしたサークルがあり、患者さんもそのサークルのメンバーの1人。患者さん・ご家族・医療者それぞれが適材適所の強みを発揮できる、そんな新しい医療、ヘルスケアの形を作っていきたいと思っています」。
病気は治すことがゴールであると思いがちだが、慢性疾患は安定した状態を保ち、悪化しないことも重要な目標でありゴールともなりうる。そのため目標までの道のりが遠く、ゴールがなかなか見えてこない時もある。しかしその過程で、家族の絆という思わぬ贈り物を手にできるかもしれない。そして絆というサークルができれば、病状の改善・重症化予防というゴールもさらに近いものになるだろう。
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慢性疾患は孤独に戦うものではなく、サークルの中の愛情を糧にして、長くつきあい、ゆっくりと克服していくもの。これからの慢性疾患とのつきあい方は、そういう形がいいのかもしれない。そしてそれを可能にするテクノロジーが、揃い始めたということなのだと思う。