兵庫県神戸市出身。幼少時代はサラリーマン家庭の転勤族として全国を転々とする。京都、大谷大学文学部哲学科卒業。1994年、大学卒業後すぐに茅葺き屋根職人見習いとして京都府南丹市美山町にIターン移住し、茅葺き修行を開始する。
40歳以上も年上である、京現代の名工、故山崎辰之助氏、故山内秀一氏に師事、「見て盗め」と言われる。冬期間、雪が降って屋根の仕事ができない時期は、軽トラで石焼き芋屋をして生計を立てた。将来の不安からうつ病になり、不動産、建築の会社の営業に転職。療養後、茅葺き職人に再び復活し、独立。
1997年、イギリスに渡りCotswolds & Chilton Master Thatchers Ltd. 社に入門。イギリスの茅葺き職人故クリストファー・ホワイト氏に師事。イギリスでの最後の晩にクリストファー氏に「茅葺技術は人類共通、世界最古の技術、もっと自信を持ちなさい。」と励ましを受け、数少ない日本を代表する茅葺職人の末裔であることを自覚し、帰国後、昭和一桁生まれの全国各地の茅葺き職人を訪ね、全国武者修行を開始。47都道府県のうち、30都道府県で屋根葺きに携わった。
2007年、36歳の時に法人化し、ニシオサプライズ株式会社を設立。自宅のガレージに材料の茅を備蓄し、社長一人で茅葺き屋根工事請負業がスタートした。材料である茅の産地を開拓して茅材を安定確保し、冬場も雪の降らない地方で受注することで通年行える請負業に発展させ、社員として弟子を3人養成した。全国の民家、文化財、茶室などの屋根の葺き替え、修繕に携わり、現在まで全国各地の延べ220件の屋根工事に携わった。
2011年に茅葺き民家を生かした一日一組一棟貸し宿「美山FUTON&Breakfast」を開業。茅葺き屋根をつくるだけではなく、「かやぶきを大衆でシェアできるものに」というコンセプトのもと、所有者や職人しか知ることのできない茅葺きの世界を大衆の皆様に知っていただくサービス提供事業に発展させた。茅葺き一棟貸し宿事業において第4回京都・文化ベンチャーコンペティションにて京都府知事賞優秀賞を受賞。現在は、2号店「美山KAYA VILLA」3号店「美十八 みとや」の3棟を運営し、年間2,000人の方が利用されている。
中国インターネット動画配信メディア「一条」の取材を受け、5分間の特別仕様の動画が制作され、中国本土で放映、100万人の人々が視聴した。インバウンドにも取り組み、海外旅行客にも人気で、トリップアドバイザーでは100以上の「とても良い、良い」の評価を得て、エクセレント認証を受けた。2015年には、経済産業省より地域資源活用事業の認定を受けた。「かやぶき民家が500軒ある美山町全体を一つのホテル」と考え、旅行業許可も取得し、地域や商業者と連携し、観光業を通じて地域活性化に取り組んでいる。
美山町では、屋根を葺きたい、という相談だけではなく、かやぶきの家の維持ができない、という相談にも応じ、宿事業などの収益事業への活用のコンサルティングを行っている。将来的には、美山に茅葺きと集落そのものが大規模リゾートとなり、アジア圏の人々のオアシスになるような所をつくりたいと構想する。
2018年3月「日経新聞 NIKKEIプラス 何でもランキング」の古民家の宿部門で堂々の全国1位を獲得。全国での地域活性化、古民家活用への講演やコンサルティングにも奔走する。
「かやぶきを大衆で共有し、大衆でシェアできるものに」というコンセプトのもと、大衆の皆さんに投資をしていただける金融システムの構築を構想中。2018年一般社団法人 日本茅葺ルネサンス協会を立ち上げ、代表理事として、失われていく茅葺民家の買い取り保存や、解体される民家の骨組みのストックのため、寄附活動にも取り組んでいる。
日本一茅葺きと美山が大好きで、日本一茅葺きにエネルギーと時間を費やしてきたと自負する。365日、24時間、茅葺きを再生するにはどうしたらいいか、を考えている奇人変人である。
著作:「私は、なぜ茅葺職人になったのか」ギャラクシーブックス
◆保有資格について
二級建築士
グリーンツーリズムインストラクター
宅地建物取引主任者
不動産コンサルティング技能士
主任文化財屋根葺士
そばうち初段